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日本人が日本人として次の世代に伝えるべきもの

2013/05/18 Sat

谷合専務が入会している武蔵野市のサークル「紫芳短歌会」で長年短歌を指導しておられる内貴直次氏にインタビューをさせていただく機会を得た。

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お話しをお伺いするにあたって、事前に頂いた同氏の資料に目を通し愕然とした。
内貴氏は大正10年生まれの91歳で、太平洋戦争でニューギニアの戦いに行かれた経験をお持ちであった。
ニューギニア戦といえば、日本軍とマッカーサー率いる連合国軍との間で壮絶な戦闘が終戦まで続き、数多くの方々が犠牲になった戦いでもあり、内貴氏は陸軍少尉として派遣された。
敵陣偵察の斥候任務を果たして勝利を収めるものの、その後の総攻撃で左足切断、そしてマラリアを発症し、ミイラと化すものの治療を受けられず意識朦朧の状況で救出され、九死に一生を得て帰国された体験をお持ちであった。
こうした経験をお持ちの方に実際にお会いできるという期待と緊張感でいっぱいであった。
月一回の短歌会が終わり、内貴氏は杖をつかれながら教室から出てこられ、待合室のテーブルに腰をおろされた。
背筋がきりっと伸び、眼光は鋭かった。
ご挨拶を終え、お話しを伺おうとすると、「今日はどのようにお答えすればよいのでしょうか」と、やさしく、物静かに口火をきっていただきほっとした。
現在の短歌会は20年以上続けておられ、そのきっかけはご自分の戦争体験を後世に伝えるため書かれた「ニューギニア戦歌集」がきっかけとなった。
この著書の冒頭に、「日本は平和ですが世界は物騒です。治にいて乱を忘れず、昔は十年毎に大きな戦争があって、国民は緊張していました。三代を生きてきた私は、長い平和に狎れた今の日本人はこれでいいのかと思っています。」で始まり、「勇敢無比な当時の青年達が困苦欠乏に耐え、国のため身を捧げられた忠誠心を顕著せねばと思い立ったのです。どうか靖国神社へ詣り英霊を慰めてあげて下さい。二千六百六十余年の伝統を維持し、祖国の繁栄を願って已みません。」で締め括っておられる言葉が同氏の
また、太平洋戦争において、自国が戦犯と誤認識されられるような風潮がある中で、戦地での内貴少尉もそうであったように、現地の人たちを助け、助けられ、心と心の通じる関係を築き、尊敬される日本人が多かった事実はあまり伝えられていない。
戦前の日本人と日本文化は、アジア諸国から羨望の的であった事実を、現在の人たちが知らないことに落胆しておられた。
現在では、毎日千メートルを泳ぎ、これまでに380万メートルの記録を達成し、ギネス登録の話しも。
90歳を超えられても、隠居などという言葉とはまったく無縁の、生涯現役を貫き通しておられる。
インタビューの終わりには、サイン入り著書のプレゼントまで頂戴した。
その中には、「正義人道のヤマトダマシイを失わぬ日本人でありたい」と記して頂いていた。
数多くの英霊によって平和がもたらされ、何不自由なく生活せていただいている私たちは、内貴氏の生き方から何を感じ、受け取り、次の世代に何を伝えるべきか深く考えさせられた次第である。


<参考>
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内貴直次氏著書「ニューギニア戦歌集」

戦後、戦場での過酷な体験について編年順に短歌にまとめたものです。
短歌と呼ぶにはあまりにも戦場での生々しい体験にまとめられたものであるため、「戦歌集」となっています。
推薦文と序文は、親友である小野田寛郎氏から寄せられております。


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